過去の箱根駅伝成績 〜history of tetsukon〜

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 “鉄紺東洋”と箱根駅伝

  東洋大学陸上競技部の創部は戦前の1927(昭和2)年といわれている。後にベルリンオリンピックマラソン代表候補となる池中康雄氏を擁し、東洋大学が箱根駅伝に初出場を果たしたのは1933(昭和8)年の第14回大会。そのときは出場11大学中10位の成績だったが、その後は1940(昭和15)年の第21回大会まで8回連続出場し、戦前の最高順位は5位。戦前最後の第22回大会(1943・昭和18年)と戦後第1回目となる1947(昭和22)年の第23回大会には出場していないが、翌1948(昭和23)年の第24回大会から1991(平成3)年の第67回大会まで44回(年)連続出場を記録していた。
  箱根駅伝の通算出場回数は歴代5位を誇る伝統校のひとつでありながら、1960(昭和35)年の第36回大会における総合3位が最高成績で、往路・復路の片道優勝もなかった。
  21世紀に入り、シドニーオリンピックマラソン代表の川嶋伸次氏を監督に迎え、基本の徹底・学業と競技生活の両立を掲げる「川嶋イズム」をチームに注入し強化を図った。そして迎えた2009(平成21)年の第85回大会、往路初優勝の勢いそのままに復路も制し、初出場から77年目、出場67回目にして悲願の総合初優勝を果たし、新たな“鉄紺の歴史”が始まった。
  2009(平成21)年4月、新監督に鉄紺OBである酒井俊幸氏を迎え、就任から9か月目にあたる第86回大会において総合2連覇を達成した。2012(平成24)年の第88回大会で10時間51分36秒という空前絶後の大会新記録(当時)で3度目の総合優勝、2014(平成26)年の第90回記念大会でも4度目の総合優勝を果たし、鉄紺東洋の黄金時代到来に期待が高まる。


総合優勝フィニッシュシーン プレイバック
第85回 高見選手 第86回 高見選手 第88回 齋藤選手 第90回 大津選手
(第85・88・90回の写真提供 東洋大学広報課、第86回の写真提供 スポーツ東洋)

※大会回数をクリックしてください(リンクは順次追加作成していきます)

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金色背景の回は総合優勝
※空欄の5大会(22・23・68・77・78)は不出場

往路初優勝の瞬間(柏原竜二選手)
(写真提供 東洋大学広報課)
総合初優勝の瞬間(高見諒選手)
(写真提供 東洋大学広報課)
鉄紺東洋の黄金時代の幕開け!
2009年、初出場から77年の出場67回目で掴んだ鉄紺東洋悲願の総合初優勝!
撮影 管理人
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