“箱根”ユニフォームの変遷 〜history of “TU”uniform〜
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  「ユニフォームに歴史あり」。最近では上・下が紺に“紺に白縁のTUマーク”の入ったユニフォームが定着していますが、70回を超える箱根駅伝出場の歴史を紐解くと、「東洋大学」の文字と「TU」のマークを基調としたユニフォームの変遷がみられます。
 
※抜けているユニフォームの写真をお持ちの方でご協力いただける方はご連絡ください。
※文中の「上」とはランニングシャツ、「下」は短パンを意味しています
 50’s 第26〜35回大会 1950〜1959
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  60’s 第36〜45回大会 1960〜1969 “TUマーク”誕生
 1960年代のユニフォームについては、リンク集にある「熊谷のOBさん」のサイト「マドリッド通信」の「私の箱根駅伝回想録−前編・後編」の中に詳しく紹介されています。
  回想録によれば、「TU」の組み合わせマークは、米大リーグのニューヨーク・ヤンキースの「NY」のマークからヒントを得たとのことです。
  そのTUユニフォームの“箱根デビュー”は、第44回大会(1968)からとのことで、それまでのユニフォームは、上は白の半袖と長袖シャツに胸に鉄紺色の横ラインに白抜きで「東洋大学」の文字、下の側面とゴムの部分に鉄紺色のラインが入っていたようです。
上・下白で胸に鉄紺色の「T」マークが入ったユニフォーム(昭和38年の全カレにて)
 写真提供 熊谷のOBさん
「TU」のユニフォームが登場するまではこの「T」が公式試合ユニフォーム
 
写真提供 熊谷のOBさん
第43回大会(1967)までの箱根駅伝用ユニフォーム
第38回大会(1962)・8区の加瀬 忠選手
写真提供 熊谷のOBさん
第44回大会(1968)で「TU」のユニフォームが“箱根路”に初登場
写真上/7区の樋口良太選手(区間2位) 写真下/・8区の山本哲選手(区間賞)

写真提供 熊谷のOBさん
 70’s 第46〜55回大会 1970〜1979 左胸に“TUマーク”
 1970年代は、白く太いTUマークが左胸に付いたユニフォームが主流であり、Tシャツタイプと長袖タイプがあったようです。上・下の色は鉄紺を明くしたような色で、納戸色のような色あいのユニフォームです。
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第46回〜55回大会着用のもの
“先行のマツ”松田 進選手
第49回大会(1973)・1区 
区間新の快走
写真提供 松田 進氏
  80’s 第56〜65回大会 1980〜1989  “青の東洋”の時代
  1980年代は、鉄紺東洋のユニフォームが青と白を基調とし、胸に青字で「東洋大学」と漢字で表記された時代です。まさに“青の東洋”と形容されるユニフォームです。
  テレビでの箱根駅伝の生放送が始まったのは第63回大会(1987)年からであり、そのときに鉄紺東洋の選手が着用していたのがこの青いデザインのユニフォームでした。
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第58回〜63回大会着用のもの
竹内達朗選手とジープ
第65回大会(1989)・8区
写真提供 竹内達朗氏
第65回時着用ユニフォーム
写真提供 出水田 洋氏
 90’s 第66〜75回大会 1990〜1999 “白いTU”の時代(太/細)
 1990年代は、鉄紺東洋のユニフォームがめまぐるしく変化していた時代です。第66・67回大会(90・91)では上が紺・下が白、TUマークは太い白色でした。
  第68回大会(1992)の不出場を経た翌第69回大会(1993)では、第65回大会までの“青の東洋”のものとほぼ同型のユニフォームが復活しましたが、「東洋大学」の文字部分が赤く縁取りされた斬新なデザインでした。しかし、この年限りで消えた幻のユニフォームです(参考写真)。
  第70回記念大会(1994)では、上が白で胸部は鉄紺色のラインに白抜きで「東洋大学」の文字が入った「TUマーク」誕生前までのデザインで、下は鉄紺色というユニフォームでした。記念大会仕様であったためか、このユニフォームも“幻のデザイン”といえます。
  第71回大会(1995)からは、上・下とも紺色で上の中央に白でTUマークが付くユニフォームとなり、現在の原形のデザインとなりました。ただし、若干の変化が見られるのは、まず、第71・72回大会(95・96)のユニフォームは下の側面に白いラインと、左端に白で「東洋」の文字が入っていました。また第74・75回大会(98・99)では、白く細いTUマークで文字間隔のあいたデザイン(60年代のレトロな形のマーク)が付いたユニフォームを着用していました。
<参考写真>第69回大会着用と同じデザインのユニフォーム
(写真は第72回関東インカレハーフマラソンで力走する小平剛志選手)
写真提供 小平剛志氏

第66回1区出水田選手着用
写真提供 出水田 洋氏
第69回時着用(下は白)
写真提供 赤塚 元氏
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第70回時着用(上:鉄紺ラインに白で東洋大学・下:鉄紺)“幻のユニフォーム”
酒井俊幸選手
第72回大会(1996)・3区
写真提供 東洋大学広報課
千原詩郎選手
第73回大会(1997)・5区
写真提供 東洋大学広報課
佐藤 武選手
第74回大会(1998)・2区
写真提供 東洋大学広報課
“レトロ形TUマーク”のユニフォームは第74・75回大会で着用
(写真は第74回大会で5区を激走する千原詩郎選手)
写真提供 東洋大学広報課
 00’s 第76〜85回大会 2000〜2009 “紺に白縁のTU”の時代
  20世紀最後の2000年・第76回大会では、第73回大会で着用した“太い白TUマーク”のユニフォームに戻りましたが、その後に箱根で“TU”を見るのは3年後でした。
  第77・78回(01・02)2大会連続の不出場を経て、第79回大会(2003)では川嶋伸次氏の監督就任により復活出場を果たしました。復活元年は、再び上・下紺色に“太い白TUマーク”が付いたユニフォーム(第76回大会時のものと同形)を着用していました。
  そして第80回記念大会(2004)から、TUマークは紺色に白く縁取りされた現在のマークに変わり、背中部分には「TOYO」又は「東洋大学」の表示が入り、現在のユニフォームのデザインに定着しています。
永富和真選手
第80回大会(2004)・4区
写真提供 東洋大学広報課
三行幸一選手と信清高志選手
第80回大会(2004)・2区から3区へ
写真提供 東洋大学広報課
黒ア拓克選手
第83回大会(2007)・2区
写真提供 埼玉・甘えん坊さん
大西智也選手
第85回大会(2009)・3区
写真提供 貴甘坊さん
 10’s 第86回大会〜   2010〜 “紺に白縁のTU”・常勝チームの証に
  鉄紺東洋が初出場から77年目、出場67回目にして悲願の初優勝を果たした第85回大会(2009)では、第80回記念大会から着用している“紺に白縁TUマーク”のユニフォームでした。
  以来、第86回大会(2010)での連覇、第87回大会(2011)で早大を“21秒差”まで追いつめたデッドヒート、そして第88回大会(2012)における10時間51分36秒という空前絶後の大記録での圧勝でも“紺に白縁TUマーク”のユニフォームを着用し、強い“鉄紺東洋”のイメージとして定着しました。
千葉優選手と工藤正也選手
第86回大会(2010)・8区から9区へ
写真提供 スポーツ東洋
柏原竜二選手
第88回大会(2012)・5区
写真提供 東洋大学広報課
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