「鉄紺色の走譜」 〜「箱根」と鉄紺ランナーたちの4年間〜

 4年間、競い合い、励まし合い、語り合った仲間とともに書き綴る最後の襷リレー、「鉄紺色の走譜」。
 齋藤前主将たちは、鉄紺東洋が箱根駅伝初優勝を果たした年に入学してきた世代として、多くの期待とプレッシャ
ーを背負いながら競技に打ち込んできたことでしょう。
 4年間、ほんとうにお疲れさまでした。鉄紺ファンも4年生の皆さんからたくさんの元気をもらいました。
 4月からは社会人として、競技を続ける選手も引退する選手もみなそれぞれの道で「蔭日向のない努力」を忘れず、
これからも頑張ってほしいと思います。 

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※写真は最後に一括して掲載しています。



 主将 齋藤貴志選手
 

 
東洋大学での4年間の競技生活は振り返ると、長いようであっという間でした。その生活の中で陸上競技を通し、普通の学生生活では味わうことのできないで体験、抱くことのない感情、出会うことのない人達、その全てが私を成長させてくれたと思います。競技者としての人生はここまでですが、次は一人の社会人として、人々の為に働き、人々の為に尽くし、人々に必要とされる人間になれるように4年間の経験を糧に頑張っていきたいと思います。
 応援してくださった皆様、ありがとうございました。



 副将 市川孝徳選手

 
4年間を振り返ると、私は高校時代、全く実績も力もなく自分の力では東洋大学に進学することはできませんでした。佐藤尚コーチをはじめたくさんの関係者が私にチャンス、機会を与えて導いてくれました。
 入学してからは酒井監督、谷川コーチ、佐藤コーチの熱心な指導のもと自分なりに成長できた気がします。
 チーム東洋を離れて今あらためて感じることは、今まで当たり前のように指導してくれたスタッフの方々、本当に丁寧で最高のスタッフの中で競技を続けさせていただいていたんだなということです。その恵まれた環境の中でも満足する成績は残せませんでしたが、次のステージ、トヨタ紡織で榎木和貴監督、渡邊聰コーチのもと、日の丸をつけて走れる選手になれるよう精進して参ります。良い時も悪い時も腐らず前向きに、東洋大学で培った魂で一人の人間として社会に貢献できるよう、また良い報告ができるよう頑張ります。
 4年間、貴重な経験、時間をいただき有難うございました。



 寮長 冨岡 司選手


 この4年間、辛いことばかりでした。 何度も挫折しました。
 それでも、こうして4年生で最後に箱根駅伝を走ることができました。それは皆さんの応援と支えがあったからだと思います。4年間、自分や東洋大学を応援し支えてくれた全ての人に感謝です。
 ありがとうございました。


 柿本崇志駅伝主務

 卒業を前にして、この4年間で本当に人として、競技者として成長させて頂いたと感じています。特に4年生の最後の1年間はプレイングマネージャーとして、また駅伝主務として貴重な経験をさせて頂きました。
 入学当初は故障して走れない状態からのスタートでした。故障が治って練習に参加しても1番最初に離れてしまうような選手でした。そんな自分に酒井監督は「焦らずにしっかり距離を踏めばいいよ」と声を掛けてくださいました。諦めずに練習をして、学年を重ねる毎に安定して練習をこなすことができるようになりました。大学の4年間では、目標としていた箱根駅伝を走ることはできませんでした。しかしマラソンを走らせて頂き、アメリカのHood To Coastでも優勝することができました。本当に充実した4年間だったと思います。スタッフをはじめ、両親、陸上部のみんなには本当に感謝しています。
 卒業後はダイハツ陸上競技部のランニングコーチとしてしっかりと走ります。これからも人として、競技者として成長してお世話になった方に恩返ししたいと思います。4年間ありがとうございました。



 土屋天地選手

 この4年間を振り返ると、とても厳しいものでした。多くのケガで継続的に練習ができず、納得のいく結果を残せませんでした。しかし、それらの辛い経験が自分を変えるきっかけとなりました。酒井監督の指導のもと、人間性も成長しましたし、4年目にして関東インカレ入賞、箱根駅伝メンバー入りを果たしました。
 これらは満足のできる結果ではありません。また、四年生として三大駅伝優勝を果たすことができず、悔しい想いで卒業することになりますが、この経験を今後に活かしていけたらなと思います。
 卒業後は新電元工業で陸上を続けさせて頂きます。社会人、競技者として更に成長し、企業に貢献できるよう努めていきますので、今後とも宜しくお願い致します。4年間ありがとうございました。


 渡邊公志選手


 4年間、酒井監督を始め、佐藤コーチ、谷川コーチには大変お世話になりました。
 1年生のときに箱根を走らせてもらいましたが、それ以降はメンバーに選ばれることが出来ず応援してくれている人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
 卒業後はスバルで競技を続けるので東洋大学陸上競技部OBとして結果を残し、皆様に恩返し出来る よう頑張りたいです4年間ほんとにありがとうございました。



 西山祐生選手

 この4年間を振り返ると決して良いことばかりではありませんでした。二年、三年と箱根のメンバーに入れてもらいながらも走ってチームに貢献出来なかったことは正直、本当に後悔しています。しかし、初めて親元を離れ、寮生活や早朝からの練習など慣れるまでは辛くて嫌になりそうなこともありましたが、今思えば全て自分自身を成長させてくれたものだったように思います。本当に特別な経験をさせていただきました。
 最後に、4年間指導していただいた酒井監督をはじめ、谷川コーチ、そして私をスカウトしていただいた佐藤コーチには本当に感謝しています。ありがとうございました。今後はコモディイイダで競技を続けさせていただくので、ニューイヤー駅伝を目指して頑張りたいと思います。



 川原卓也選手

 今思えばあっという間の4年間でした。あっという間だっただけに、あの時こうしていれば、という思いがあり、結果を残すことができなかった自分が悔やまれます。
 私が東洋大学に入学を決めた理由は2つありました。1つめは、高校3年の春に両膝を手術し、インターハイ予選で県大会にも出られなかった私に佐藤コーチがスカウトに来てくださり、恩返しがしたいと思ったこと。2つめは、高校ですばらしい経歴を持つ指導者に恵まれながらも、結果が出せずに終わってしまい、なんとかして大学で結果を出して恩返しがしたいと思ったからでした。しかし、思いとは裏腹に、大学入学後も故障が多く、なかなか思うような結果を残すことはできませんでした。走れるようになってからも、大会前には調子が良くても、気負いすぎて空回りしてしまったり、プレッシャーで自滅したり、大会直前や当日に体調を崩したりの繰り返しでした。特に4年時は、情けないレースや行動が多く、チームのみんなに迷惑をかけてしまいました。
 そんな私でしたが、酒井監督、谷川コーチ、佐藤コーチは常に厳しく、時には優しくアドバイスをくださいました。また、監督の奥様にも「人」としての部分でたくさんのご指摘をいただき、その度に成長することができました。みなさんの一つ一つの言葉のおかげで、達成感をより味わうことができましたし、悔しさや情けなさをより痛感することができ、人として、一競技者として成長することができました。最終学年は4年間の中で最も考え、陸上競技に取り組めたと思います。ありがとうございました。
 同期のみんなにはたくさん迷惑をかけ、たくさん支えてもらいました。時にぶつかりあい、喜びあい、涙したことは一生忘れません。これからは、それぞれのステージで共に頑張っていきましょう。
 両親にはたくさん支えてもらいながら、結果を出すことができず、本当に申し訳なく思っています。箱根駅伝を走る姿は見せられなかったけど、これからはニューイヤー駅伝を走る姿を見せられるように日々精進していきます。
 4年間応援してくださった方々、本当にありがとうございました。これからは、酒井監督からいただいた、「逆境の時にこそ進化のチャンスがある」という言葉を胸に刻み、東洋大学陸上競技部のOBとして恥じない行動を心がけるとともに、東洋大学陸上競技部を応援していきたいと思います。


 冨岡 巧選手

 とても充実した四年間でした。
 恵まれた環境のなか、最高の仲間と共に過ごした時間はこれからの人生の糧となり、心の支えとなることでしょう。
 スタッフをはじめ陸上競技部、東洋大学関係者の皆様、応援をくださった多くの方々、そして4年間を共に過ごした仲間に感謝しています。本当にありがとうございました。



 石田和也選手


 私は入部したとき、すでに故障をしていました。記録も持っておらず、とくに陸上競技の名門ではない高校から来たため、陸上初心者と言って良かった思います。そんな自分に酒井監督は、まず歩き方から教えてくださいました。ほぼ一年間走れないままでしたが、何とか走れるようになりました。しかし、なかなか練習について行けませんでした。仲間はよく励ましてくれました。監督、コーチは私の隣を一緒に走ってくださる事もありました。監督、佐藤、谷川両コーチの厚い指導もあり、自己ベストを更新し、最終学年では1500m全日本インカレに出場することができました。 
 4年生の10月からはチームをサポートする立場となりましたが、選手の時には見えなかったことが沢山あった事に驚きました。この4年間は陸上競技だけでなく、人間性を高める事ができたと思います。4年間一緒に頑張って来た仲間を大切にし、大学生活で学んだ事をしっかりと活かしていきます。



 若林孝哉選手

 私は高校時代の結果に満足することができず、よりレベルの高い環境に身を置き、上を目指していきたいと考えて東洋大学へ入学しました。陸上部のレベルの高さは半端ではなく、圧倒されっ放しで、また私自身の努力も甘さが目立ち主要な大会への出場が叶わないまま4年間が過ぎました。しかしこの4年間での経験は、私のこれまでの人生の中で非常に大きな地位を占めており、同じ寮で生活した仲間、特に同学年の皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。もう競技者として本気で走ることはありませんが、東洋大学の陸上部員として過ごした4年間は一生忘れません。
 4年間を振り返ったときにまず出てくる言葉は、「この年に、東洋大学陸上部に入れて良かった」ということ。周りからは出来が悪くまとめられない4年生と言われたり、本当にいろいろなことがあったけれど、この学年で入学し、この学年で卒業できることを本当に誇りに思います。



 安田佳祐選手


 4月から社会人として陸上競技を離れることになりましたが、この東洋大学での4年間はかけがえないものです。監督をはじめ、スタッフ、OBの方々本当にありがとうございました。



 蓑和廣太朗選手


 私はこの4年間でとても貴重な経験をさせて頂いた東洋大学陸上競技部に本当に感謝しています。入学当初から多くの合宿に参加させていただき、酒井監督の丁寧な指導のもと着実に力を付けることが出来ました。怪我で苦しんだ時期もありました。その中で感じた事は何事も自主性、主体性を持って最後まで諦めずに努力するということでした。東洋大学という素晴らしい環境のもとで陸上競技を続けられたこと、酒井監督、谷川コーチ、佐藤コーチという素晴らしい指導者に指導していただいたことを誇りに、この4年間で培ってきた経験をこれからは指導者という立場になってしっかり生かせるようにしていきたいと思います。
 今まで応援し、支えて下さった多くの方々には感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。



 
守田収一選手

 この私に充実した時間と経験を与えてくれた皆様に感謝するとともに、東洋大学で過ごした4年間に誇りと責任を持ち、新たな人生を歩んでいきたいと思います。ありがとうございました。



 
鈴木麻里衣主務

 4年間を振り返り、自分は何か1つでもチームの役に立てていたのだろうかと考えると、今は後悔することばかりです。
 ですが、夢は頼もしい後輩達に託し、私は一社会人として胸を張れるような活躍が出来るよう、またここから頑張りたいです。
 マネージャーの私にも、頑張ってね!と声をかけてくださった方々をはじめ本当にたくさんの人に、支え、そして背中を押していただいた4年間でした。
 この4年間で関わった全ての方々に、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。





   それぞれの4年間、
     それぞれの想い、
        それぞれの青春。
          “感謝”と“心意気”を胸に、
             これからも輝き続けてほしい、
               それぞれのステージで、
                  「鉄紺色の走譜」第二章に向けて・・・






祝 卒業! 「輝け鉄紺!」卒業アルバム『1460日分の“1枚”』





市川選手提供

蓑和選手提供



柿本駅伝主務提供



冨岡 司選手提供

西山選手提供



渡邊選手提供

守田選手提供



齋藤選手・土屋選手提供



安田選手提供



若林選手提供



石田選手提供



川原選手提供



冨岡 巧選手提供



鈴木主務提供


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