写真版・鉄紺ヒストリー |
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き せ き |
セピア色 |
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このコーナーは、箱根駅伝出場70回を超える東洋大学陸上競技部の歴史において、1933(昭和8)年の初出場から2009(平成21)年の初優勝までに幾多の鉄紺ランナーが箱根路に残した「輝跡(きせき)」を、セピア色の写真とともに振りかえります。 「鉄紺東洋」が常勝チームに進化しつつある今、これまでの歴史と伝統を、これからも紡いでいくために、伝え残していかなければならない「記憶」だと思います。 貴重な写真の数々は、当時のOBの皆さんから提供していただきました。 なお、当時のエピソードなどはあらためて聞き取り調査をして加筆したいと考えています。 |
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第2弾 1957(昭和32)年・第33回大会の写真版・鉄紺ヒストリー |
第2弾は、鉄紺東洋の戦後10回目、通算では18回目の箱根駅伝出場となった1957(昭和32)年・第33回大会を写真でふりかえる鉄紺ヒストリーです。 この大会では、前年のメルボルンオリンピックのマラソンで5位に入賞した川島義明選手を擁する日大が14年ぶり7度目の総合優勝(戦後初優勝)を果たしました。 鉄紺東洋は、優勝した日大に1時間以上の大差をつけられ総合10位でしたが、7年後の東京オリンピックで、鉄紺初の五輪代表選手(3000mSC)となった奥沢善二選手が1年生として6区で箱根デビューを果たしており、東洋大学陸上競技部にとっても歴史的に意義のある大会であったといえます。 残念ながら1区と2区の写真がなく10区間がつながっていませんが、このときの「輝」跡は、しっかりと「今」の鉄紺の襷につながっています。 |
【データメモ】 第33回箱根駅伝 ◎総合優勝 日本大学(12.14.04) ※7度目の総合優勝 ○総合2位 中央大学(12.22.52) ○総合3位 立教大学(12.28.17) ○総合10位 東洋大学(13.15.14) ※往路12位(6.41.23)、復路9位(6.33.51) ○総合12位 国士舘大学(13.48.14) ※初出場 |
第1区 吉田 博選手(1年) 区間14位(1.17.10) |
NO PHOTO |
第2区 米山大恵選手(4年) 区間8位(1.12.53) |
NO PHOTO |
第3区 嶺岸常美選手(4年) 区間11位(1.16.30) |
遊行寺の坂を下る嶺岸選手 |
第4区 関根一夫選手(3年) 区間3位(1.10.07) |
撮影場所不詳 サイドカーが時代を物語る |
第5区 内山末男選手(2年) 区間15位(1.44.43) ※往路は12位で終了 |
撮影場所不詳 内山選手に伴走する中野コーチ(右) |
第6区 奥沢善二選手(1年) 区間7位(1.19.34) |
撮影場所不詳 奥沢選手に伴走する中野コーチ(左) ※奥沢選手は卒業後、東京オリンピックに3000mSCの代表として出場(鉄紺初の五輪代表選手) |
第7区 小池文司選手(1年) 区間7位(1.13.56) |
奥沢選手から小池選手への襷リレー |
撮影場所は二宮駅付近?(写真に写る「添田塗料店」は今も二宮町に実在しますが・・・) 藁葺き屋根の家々が点在していた昭和30年代初頭の東海道の貴重な風景 |
第8区 宮木啓友選手(3年) 区間10位(1.21.14) |
撮影場所不詳 |
第9区 宮谷久仁男選手(1年) 区間12位(1.18.48) |
撮影場所不詳 |
第10区 明田良雄選手(4年) 区間9位(1.20.19) ※復路9位、総合10位でゴール |
撮影場所不詳(六郷土手付近?) |
(第2弾を終えて) 鉄紺東洋は、初優勝するはるか昔から箱根路に確かな足跡を残し、輝いていました。 これからも、貴重な写真とともに、セピア色に輝く鉄紺色のヒストリーを紐解いていきたいと思います。 2012.12.27 管理人記 |
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