〜「素顔」の鉄紺ランナーたち〜
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お待たせしました! 副将 黒ア選手の登場です。
Act.3 黒ア 拓克 選手( 頼れるエース KUROSAKI 登場!) |
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“フェイス”データ |
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名前 | 黒ア拓克(くろさき ひろかつ) | 今年の1月3日大手町にて管理人撮影(来年もまた笑顔で握手を!) |
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出身高校 | 栃木県・大田原 | |
生年月日 | 1985(S60).8.8 | |
血液型/視力 | A型/右 1.5・左 1.5 | |
好きな言葉 (座右の銘) |
なせば成る | |
好きな映画or 愛読書 |
「東京タワー」 | |
好きな観光地(場所) | うちのじーちゃんの家 | |
好きな色 | 赤 | |
好みの女性 のタイプ |
お酒が飲める子 | |
尊敬する人 | NTNの笹沼悠司選手 | |
将来の夢 | 陸上の指導者 |
テーマ: 「 大学での競技生活について 」 | |
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時間が経つのは早いもので、ボクも大学4年生。箱根を走れるチャンスもあと1度だけになってしまいました。今回はせっかくこのような機会をいただいたので、大学での競技生活を振り返ってみたいと思います。 ボクが大学で陸上をやろうと志したきっかけは、箱根駅伝を走りたかったからでした。東洋大学を選んだのは、この大学なら楽しく陸上をやれると思ったのと、川嶋監督の指導を受けてみたかったからです。しかし、高校時代に特別な実績も記録ももっていなかったボクには、大学の練習に付いていけるのか、本当に箱根を走れるようなランナーになれるのか、といった不安が常にありました。 不安を取り除くために、1年生の頃はがむしゃらに走りました。夏合宿では月間の走行距離が1000キロを超えるくらい走りこみました。そうして、これまでは出来なかったペースでの練習をこなしたり、記録会で自己ベストを出したりするうちに、少しずつ自分に自信が持てるようになりました。しかしこの年、箱根のエントリーに入ることは出来ましたが、最後の調整というところで故障してしまい、結局箱根を走る夢は叶いませんでした。 大学2年の時、箱根は予選会からのスタートでした。この年は力のある新入生が多く入部して、チームとしても『いけいけどんどん』の雰囲気がありました。ボク自身、下級生には負けたくない!という気持ちがあったので、いい緊張感をもって練習に取り組めました。その結果、予選会では個人で8位、チームもトップ通過という成績を残すことができました。チームに貢献できたことが本当に嬉しかったです。その後、前年の経験を生かして調整した結果、箱根駅伝を走る、という念願を叶えることができました。ボクは2区を走らせていただき、チームは10位という成績でしたが、順位以上に来年に向けての手応え掴むことができたと思います。 大学3年の時は故障との戦いでした。夏合宿で肉離れをしてしまい、出雲駅伝、全日本駅伝と出場することができませんでした。箱根しかなかった分、箱根にかける意気込みは人一倍だったと思います。この年、再び2区を走らせていただきましたが、襷をもらった順位を落とさずに走ることができたのでほっとしました。チームの力が上がっていたこともあり、この年は東洋大学にとって38年ぶりとなる5位入賞を果たすことができました。 大学4年の今年、出遅れた感はありますが、夏合宿を経てチームは少しずつ上向きの状態です。出雲や全日本を見た限りでは、上位の大学を倒すのは簡単ではないと思いますが、東洋大学にもチャンスがないわけではないと感じました。ボクも最上級生のひとりとして、チームの為にできることをしっかりやりたいと思います。 長くなりましたが、最後まで読んでいただき有難うございました。東洋大学を応援してくださっている皆さんのおかげで、ボクもこうして競技を続けてくることができました。最終学年として、最後の箱根駅伝で最高の走りをしたいと思います。これからも東洋大学陸上競技部へのご声援をよろしくお願いします。
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