ランナー列伝“鉄紺伝説”3 |
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駅伝を讃えて 〜詩人・勝承夫と箱根駅伝〜 |
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今回はランナーの視点ではなく、箱根駅伝の記念碑にまつわる東洋大学の伝説です。 鉄紺東洋の伝統と、箱根駅伝の素晴らしさを、また一つ発見しました。 |
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すでにご存知の方も多いと思いますが、箱根駅伝往路のゴール・復路のスタートである芦ノ湖畔には箱根駅伝に関連した3つの記念碑があります。一つは昭和36(1961)年に建てられた「東京箱根間大学駅伝競走記念碑」、二つ目は昭和59(1984)年の第60回大会を記念して建てられた「駅伝を讃えて」の詩碑、三つ目は平成6(1994)年の第70回大会を記念して建てられた「箱根駅伝栄光の碑・若き力を讃えて」の碑(ブロンズ像)です。そのうちの一つ、詩碑「駅伝を讃えて」の作詩者である勝承夫(かつ よしお)先生は、東洋大学のOBです。 勝先生は明治35(1902)年に生まれ、箱根駅伝の第1回大会が行われた大正9(1920)年に東洋大学に入学、旧制中学時代から詩人として活動されていましたが、大学卒業後は報知新聞社(現読売新聞社)の記者生活を経て文筆活動に専念し、武者小路実篤氏や高村光太郎氏らと詩集を出版するなど文学界で活躍されました。 戦後は音楽教育活動にも参画され、サトーハチロー氏や服部良一氏らとも親交があり、日本音楽著作権協会会長も務められました。また、詩集『航路』をはじめとする数多くの作品とともに、全国の小・中・高等学校の校歌の作詩を数多く手がけられました。 東洋大学との関係では、理事長や校友会長などの要職を歴任され、中でも工学部の新設にご尽力されたそうです。勝先生は昭和56(1981)年に79歳で亡くなられました。 「駅伝を讃えて」の詩は、勝先生が昭和28(1953)年1月1日の読売新聞紙上で発表された詩のようですが、第60回大会の記念碑建立に際し、「駅伝を讃えて」の詩が採用された経過についてご存知のかたはご教示ください。 |
芦ノ湖畔に建つ3つの記念碑 右から「駅伝を讃えて」、「東京箱根間大学駅伝競走記念碑」、「箱根駅伝栄光の碑・若き力を讃えて」 いずれにせよ、大正・昭和・平成と80年以上にわたって受け継がれている歴史と伝統の箱根駅伝の記念碑の一つに、出場60回以上を誇る伝統校「東洋大学」の名が確かに刻まれています。あとは近い将来、「優勝校」として、名実ともに箱根駅伝の歴史の中に、永遠にその名を刻みつけてほしいと願うばかりです。 詩人・勝承夫先生については、「井上円了記念学術センター」のこちらの頁をご覧ください。 |
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駅伝を讃えて 若い豹は春の象徴 君たちが走ると 東海に春がよみがえる 富士はおおらかに微笑み 相模の海は夢多い調べをおくる 君たちは意志と力の群像 君たちは青春の花々 赤や海老茶や紫が入りみだれて 春のさきがけのテープを織りなす 君たちは光のようにはつらつと走り 町々を 並木を 野を 山を 呼びさます 春のつばさ 東京箱根間大学駅伝 二日間のレースは 二つないスポーツの交響楽 自然の美とスポーツの美の 明るく展ける新春のフィルム よろこびと涙を わかち合う二百二十キロ 若い日の楽しい感激よ 勝 承 夫 |
「駅伝を讃えて」詩碑 勝先生が箱根駅伝の感動をうたいあげた 「駅伝を讃えて」は、今なお色あせることなく、箱根駅伝を走るすべての選手に、 湖畔からエールを送り続けていいます。 そして、あなたが卒業した小・中学校や 高等学校の校歌の作詩者として、 勝先生は皆さんにも エールを送られているかもしれません。 母校の校歌を調べてみては・・・ |
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正面近影 | 裏面には勝先生の略年譜が |
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“箱根”点描 〜祭りのあと〜 |
おなじみの沿道も“祭りのあと”(箱根湯本駅付近) | 塔ノ沢付近 |
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芦ノ湯付近 | 芦ノ湖のゴール・スタート地点手前 |
ゴール・スタート地点(左端に標柱が見える) | 隣接する「箱根駅伝ミュージアム」 |
オベリスク風の標柱(こちら面には「東京箱根間往復 大学駅伝競走復路スタート」と書いてある) |
当たり前だが反対側には「東京箱根間往復 大学駅伝競走往路ゴール」と書いてある |
勝先生も、台座にある歴代優勝校の銘板に母校の名が刻まれることを願っているに違いない ※ちなみに、この記念碑の高さは214.7cm、すなわち建立当時(平成6年)の箱根駅伝総距離の10万分の1に相当 |
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2008.2.19記 |
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補遺 かくて歴史は刻まれた 〜勝先生への報告〜 |
平成21(2009)年1月3日、第85回箱根駅伝において、東洋大学が悲願の初優勝を果たした。出場67回目、初出場から77年目にして掴んだ栄光の総合初優勝であった。 歓喜の初優勝から2か月後、初優勝の足跡を確かめるべく、激走の舞台となった箱根路を散策した。あいにくの雨模様であったが、「箱根駅伝栄光の碑・若き力を讃えて」の碑(ブロンズ像)の右側面に、栄光の証として、歴代優勝校として東洋大学の名がたしかに刻まれていた。 「駅伝を讃えて〜詩人・勝承夫と箱根駅伝〜」と題し、恐れ多くも小稿をしたためてから1年足らずで、勝先生に初優勝の報告する機会に巡り合えた幸運に「感謝」したい。
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2009.3記 |
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