「鉄紺色の走譜」 〜「箱根」と鉄紺ランナーたちの4年間〜

 4年間、競い合い、励まし合い、語り合った仲間とともに書き綴る最後の継走、「鉄紺色の走譜」。
 2010年3月、新コーナーのリニューアルスタートは箱根連覇「釜石世代」の4年生たちの「走譜」です。

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 「卒業する皆へ」  監督 酒井俊幸
 まずはあらためて卒業する皆に深く感謝したいと思います。
 初優勝時には誰一人優勝メンバーとして走れなかった上に、最上級生として不安やプレッシャーもたくさんあったと思います。その中で、素直な心で私たち新スタッフの言うことに耳を傾けてくれました。また、自ら汚れ役をかって出てくれたり、泥臭く実践しチームをまとめ上げていってくれました。
 こういったことが、スタッフ体制が替わって常勝チームを目指すかどうかの分岐点をいい方向へ導いてくれたと思っています。
 監督初年度の最上級生が君たちの学年で本当によかったと心から思っていますし、今回の連覇もこの最上級生があったからこそ、達成できたものであると感じています。
 これからはそれぞれの道で多くの苦難や喜びもあると思いますが、学生時代の経験に大きく自信を持ってください。また同時に、謙虚さと素直な心で感謝と心意気を忘れることなく、力強く次の世界へ羽ばたいてください。
 君たちの活躍を心から祈念しています。




 主将 釜石慶太選手
  東洋大学に進学する決め手となったのは、佐藤コーチの熱意からでした。高校時代は自分のイメージするレースプラン通りの走りが出来ていましたが、大学では良い練習が出来ていてもなかなか結果が出せなかったり、3年生の秋頃からはずっと故障との戦いでした。川嶋前監督や周りの期待に応えられず、辞めようかと考えたりする時期や、気持ちが落ち込み練習に打ち込めない時期もありました。それでも佐藤コーチは私をキャプテンに指名し、酒井監督や谷川コーチという熱意あるスタッフ陣の期待になんとか応えたいという想いが強くなりました。
 4年生では故障ばかりでみんなと一緒に練習することも出来ずに、監督に「キャプテンを降ろさせてください」と伝えた時も監督は「お前がキャプテンじゃなければチームはダメになる」と言っていただいた言葉がずっと心に残っています。
 結局、走りではチームに対して何も貢献することが出来なかったですが、貢献する形は違っても高校、大学と優勝をそれぞれ2回ずつ経験させて頂き、本当に運があるなと思うと同時に、集団生活
によって競技力よりも人間性を高めることができました。スタッフや東洋関係者、応援してくださった全ての方に本当に心から感謝し、新しい人生をしっかりと歩んでいきたいです。本当にありがとうございました!これからも東洋大陸上部に熱い応援をよろしくお願いします!


 副将 岸村好満選手
  4年間の大学生活において、1番自分の心の支えになったのは親の存在でした。
 1年生の頃から故障が多く走れない時期が長く続いても、暑さに弱く夏場は全く走れていなくても何も言わずに自分を励ましてくれていました。
 そんな親の期待に少しでも答えられるようにと努力した結果、どんな形であれ、2年生の時に箱根駅伝を走ることができました。
 その後、3・4年生では故障が重なったり、体調を上げることができなかったり思うような結果は残せませんでしたが、それでも無事に4年間陸上を続けて卒業できることに親は喜んでくれました。親の支えが無ければ今の自分はなかったと思っています。今度は自分が親に恩返ししていきたいと思います。


 寮長 工藤正也選手

 まず、この4年間は最高の大学生活でした。
 年を重ねるごとに先輩としての自覚や責任感も高まり、本当に大きく成長出来た4年間だと思います。
 それも監督、コーチ、スタッフをはじめ沢山の人達の支えのおかげであり、恩返ししたいという気持ちが最後の箱根で走る事ができ、優勝に貢献できたことに繋がったと自分では実感しています。ありがとうございました。
 自分はどちらかというと4年になるまでは八割は苦しみ、喜びという喜びを感じた事がなかったけれど、同学年のみんなにも支えられ勇気をもらい乗りきってこれたと思います。本当に同学年がこのメンバーで良かったと思うし、これからもこの繋がりは大事にしたいと心から思います。そして最後に両親に最高の恩返しが出来た事、それが大学に入って良かったと思える一番の事です。
 4年生では、一つひとつのレースを毎回これで最後なんだと思い後悔したくないという気持ちが、精神的に弱かった自分を成長させてくれた一番の要因です。後輩には最後どんな結果になろうともいい大学生活だったと思えるよう、後悔しないよう頑張って欲しいです。
 最後になりますが、大勢の方々に支えられた事に対して、これから実業団でも感謝の気持ちを忘れず走りで少しずつ恩返ししていければと思います。
 大学生活は、感謝、感謝でやってこれたと言っても間違いありません。本当にありがとうございました。


 大島 諭主務

 こんにちは。主務の大島です。まずは皆さま、この四年間本当にお世話になりました。この原稿を書いているとき、ちょうどバンクーバーオリンピックの期間で日本人選手のコメントを目にする機会が多くありました。コメントを聞いている時、北京やトリノ又それ以前のオリンピックの時とは明らかに違う見方をしている自分に気が付きました。競技終了後のコメントの中には「嬉しい」・「悔しい」等の結果から読み取れるものと、「今まで多くの人に支えられ」・「感謝の気持ち」等の競技の枠を超えたコメントがありました。以前の私は前者にしか共感できませんでした。しかし、大学生活を経て後者にも共感が持てるようになりました。代表選手のオリンピックへの四年間と私の大学四年間には、規模は違えど何か近いものを感じた気がします。些細な事ですが、自身の成長を実感出来た良い機会であったと思います。今後のオリンピックでの楽しみが一つ増えました。


 小田切 崇選手
 
箱根駅伝出場を目標に大学に進学しましたが、残念ながらその目標は達成できませんでした。しかし、この四年間で努力の重要性、継続することの大変さ、結果を出すための過程と様々なことを学びました。まだまだ学び足りないこともたくさんあり、悔いがないと言えば嘘になりますが、学生スポーツは四年間と限られてますので納得し、これから社会人としてその経験を活かしていきたいと思います。
 仲間に恵まれ、一緒に寝食を共にした四年生、一年間という短い間でしたが熱心に指導してくださった酒井監督、谷川コーチありがとうございました。監督、コーチは四年生を特に評価していただき、また熱心な指導で私の競技に対する気持ちも180度変化しました。本当にありがとうございました。
 最後に後輩たちへ、これから連覇という重圧と周囲の期待が大変かもしれませんが、それは東洋大学しか味わうことのできないものです。それを力に変えて部員全員の総合力、全員駅伝で三連覇、四連覇と、東洋大学の黄金時代を期待しています。



 上 健太郎選手
 
箱根駅伝を目指して入部してあっという間の4年間が過ぎてしまいました。きれいな寮でグラウンドが近いこと、食事、熱心なサポーターやOBの皆さん、熱いスタッフと仲間たち。厳しい練習に加え朝4時半に起き通学に1時間半かかるのは大変でしたが、あの環境にいたからこそ競技力だけでなく精神力や礼儀を身につけて、充実した4年間を過ごせたことに感謝しています。後輩にも今ある環境が本当に恵まれていることを忘れないでほしいです。より良い環境・成績を目指して頑張ってください。


 川原崇徳選手

 この4年間、たくさんの人に支えられて無事に卒業となります。本当にありがとうございました。

 入学したときは、こんなに楽しい大学生活になるとは思っていませんでしたが、それも同じ4年生のメンバーのおかげだと思います。
 自分はこれからも陸上競技を続けていきますので、もし見かけましたら応援よろしくお願いします。


 佐藤友彬選手
 最後に何を願うかと今聞かれたら「箱根を走りたい」。その想いが今も胸にこみあげてきます。支えていただいたみなさん、四年間で私は成長することが出来たでしょうか。
 
次の東洋を担う一人ひとりに一秒でも速く強く、自分自身の想いを叶えて欲しいと心から思います。
 
私と関わった全ての方々に対してありがとうと感謝を込めてこの四年間をしめます。
 
ありがとうございました。


 世古浩基選手

 僕が4年間で一番学んだことは、家族の大切さです。三重から埼玉へと遠距離の生活でしたが、最初は東洋大学に進学せず就職する予定でした。しかし箱根という夢を捨てきれず迷っていたときに背中を押してくれた母親。最初は反対していたけどやはり夢を追って欲しいと送り出してくれた父親。そして、いつも自分と近い目線で見守ってくれた姉。いつも3人で遠方から試合を見に来てくれていました。僕はこの家族がいたからこそ頑張りたいと思い、地元である全日本と夢であった箱根を走れたのだと思います。直接は恥ずかしいので、この場を使って言います。4年間見守っていただいて、ありがとうございました。



 高山直樹選手
 
皆さんこんにちは。高山直樹です。知っている人は少ないと思いますが、密かに年間頑張ってきました。この4年間数え切れないほど色々なことがありましたが、「同じ目標に向かってみんなで頑張れたということ」が私にとっての何よりの財産でした。
 高校時代は強くもなく、部員数も少ない陸上部に所属していたため、東洋の陸上部に入部したときは、驚きと戸惑いでいっぱいでした。だからこそ、仲間の大切さを感じることが出来たのだと思います。

 特に、4年生になってからはみんなも自覚と責任が芽生えてきて、いろいろな形でチームに貢献したいと思い頑張っていました。そんな周りのみんなと同じようにチームに貢献できたかはわかりませんが、箱根優勝めざし自分のできることをやってきました。このように頑張って来れたのも目標を同じくする仲間がいたからだと確信しています。少しくさいことを言うようですが、「みんなで支えあってこそ頑張れる」ということを学びました。
 これからもこの4年間のことを忘れずに、この経験を生かして、社会に出て行きたいと思います。4年間、みんなありがとうございました。そして、お疲れさま。



 田邉正禮選手
 
大学での競技生活ではたくさんの出会いと感動のある4年間でした。
 競技成績では思うような結果が残せませんでしたが、箱根駅伝優勝という貴重な経験もでき良かったです。
 本当に良いチームメイト・スタッフの方々に支えられ、4年間楽しく陸上競技ができたことに感謝したいです。 冨岡亮太選手




 私にとって東洋大陸上部で過ごした四年間はかけがえのないもので、あの一瞬一瞬を追いかけるのに一生懸命だった日々が、今となっては記憶の片隅に置かれている。この四年間、箱根駅伝を目標に走り続けてきたが、一度も選手として走ることはできなかった。しかし、箱根駅伝優勝チームの一員でいられたことは誇りに思う。ここで感じた、情熱、友情、感動は今まで味わったことのないもので、これは監督をはじめ、スタッフ、仲間に恵まれていたからだ。今まで本当にありがとうございました。



 丸山 翔選手
 4年間を振り返ると、このメンバーとは1日の生活の中で家族よりも共に過ごす時間が長く、今まで出会ってきた中で最高の仲間達でした。

 東洋大学に入学し、この仲間達と4年間共に生活し、競技をすることによって人間としての自分が、精神的に一回りも二回りも大きく成長することができたと思います。この4年間は私にとって最高の宝物を見つけることができたかけがえのない時間でした。
 後輩達にも、東洋大学陸上部の仲間達と過ごす時間を最高の宝物にしてもらいたいと思います。


 柳沼順朝選手

 私は大学4年間を東洋大学陸上部で過ごせて本当に幸せでした。引退したあと、慰労会などでらこれまで支えてくださった監督やコーチ、スタッフ、応援してくれた皆様には感謝の気持ちを伝えることが出来ました。ですが、自分のことを一番応援してくれた両親にはまだこの気持ちを伝えることが出来ていないので、この場を借りて言いたいです。中学から陸上をやってきて大学も4年間箱根を目指し陸上を続けてこれたのは、本当に両親のおかげだと思っています。地元を離れて遠くにいてもいつも応援してくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。大学を卒業してしっかりと自立できるよう、今までの恩返しができるように精一杯頑張ります。本当にありがとうございました。



 山口裕岐選手

  はじめに、私を支えてくださった仲間とスタッフの方々、両親など多くの方々にとても感謝しています。競技を通して目標を達成するための基本的なプロセスや、チームメイトとの付き合い方など多くのことを学ぶことができ、社会人になってもこの経験を活かすことができると思います。何より、物事を楽しむことの重要性と健康でいる幸せを再確認することができました。辛い合宿や緊張する試合も「今、楽しめているか」を自分に問いかけることにより、うまく乗り越えることができたのだと思います。


 横山龍弥選手
 東洋大学での競技生活は今後の人生において大きな影響をあたえる4年間だったと思います。その中で一番感じた事は「仲間の大切さ」です。特に同期は4年間毎日のように一緒にいて、苦しい時も楽しい時も共に過ごし、助けられおかげで競技を続ける事ができました。今もつくづくこの同期で良かったと思っています。
 今の東洋はやはり結果が求められてしまいますが、結果がどうであれ東洋大学で4年間陸上を続けることが一番大事だと思います。
 今後はOBとして、一ファンとして東洋大学を応援しています。
 最後になりますが、あらためて監督、コーチをはじめ支えて下さった方々に感謝申し上げます。4年間ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。




 それぞれの4年間、
   それぞれの想い、
      それぞれの青春。
        “感謝”と“心意気”を胸に、
           これからも輝き続けてほしい、
             それぞれの「鉄紺色の走譜」第二章に向けて・・・





祝 卒業! 「輝け鉄紺!」卒業アルバム『1460日分の1枚』


世古選手提供

柳沼選手提供


川原選手提供

横山選手提供


田邉選手提供

冨岡選手提供


岸村選手提供

丸山選手提供


高山選手提供

山口選手提供


上選手提供

佐藤選手提供


釜石選手提供

小田切選手提供



工藤選手提供

大島主務提供



工藤選手提供

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