写真版・鉄紺ヒストリー
                        き せ き
セピア色 セピア色でよみがえる鉄紺色の「輝」跡
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  このコーナーは、箱根駅伝出場70回を超える東洋大学陸上競技部の歴史において、1933(昭和8)年の初出場から2009(平成21)年の初優勝までに幾多の鉄紺ランナーが箱根路に残した「輝跡(きせき)」を、セピア色の写真とともに振りかえります。
  「鉄紺東洋」が常勝チームに進化しつつある今、これまでの歴史と伝統を、これからも紡いでいくために、伝え残していかなければならない「記憶」だと思います。
  貴重な写真の数々は、当時のOBの皆さんから提供していただきました。
  なお、当時のエピソードなども聞き取り調査をしながら加筆したいと考えています。
第5弾 1961(昭和36)年の陸上競技部の写真版・鉄紺ヒストリー
  第5弾は、鉄紺東洋が箱根駅伝優勝を遂げるまでの最高順位3位を達成した翌年、昭和36(1961)年頃の陸上競技部のようすをを写真でふりかえる鉄紺ヒストリーです。
  昭和36(1961)年は、現在の川越キャンパスに工学部が設置された年であり、しばらくしてから陸上競技部の合宿所も板橋区蓮根町から川越に移転し、現在と同じく川越が練習拠点となりました。今から半世紀以上も前のことになります。
  自然豊かな広い練習場所が確保されたとはいえ、合宿所やグラウンドも現在の環境に比べれば不便も多かったと思われますが、写真に写る選手の皆さんの顔からはそんなハンデも楽しんでいるかのような充実感が伝わってきます。
土浦合宿でのひとコマAct.1〔新2年生〕(昭和36(1961)年3月)
後列左から天野・加瀬・渡邉・市川・松本選手
前列左から太刀川・村越・江沢・一色・大竹・橋内選手
土浦合宿でのひとコマAct.2〔新4年生〕(昭和36(1961)年3月)
左から若菜・宍戸・高田・齋藤・福田・東出選手
土浦合宿でのひとコマAct.3〔集合写真〕(昭和36(1961)年3月)
後列(立っている方)は、左から河村・金子・天野・大竹・太刀川・
松本・市川・高木・松川・井出・遠藤・一色・江沢・渡邊・橋内選手・(不明)
前列(座っている方)は、左から村越・大坪・栗原・高田・東出・
福田・齋藤・加瀬・宍戸・若菜・東出・今井・山口・川村・武田選手
工学部の校舎が見えるグラウンド(現在の陸上競技場)でのひとコマ(昭和36(1958)年?月)
写真上 前列左から金子・友松・川村選手、前は不明
写真下 河村(左)・金子選手
レトロな「TOYO」の文字が刺繍された当時のジャージ
写真 河村選手
合宿(場所不詳)の寮でのひとコマ(昭和36(1961)年?月)
隙間だらけの平屋建ての寮だったそうです
写真 緒方選手 
合宿(場所不詳)の合間のひとコマ(昭和36(1961)年?月)
写真上 後列左から武田・遠藤・服部・井出・河村選手、前列左から大泉・村越・天野選手
写真下 (頭の位置)左から金子・河村・大泉・服部・高木・小川・山口選手

夏合宿(浅間温泉)でのひとコマ(昭和36(1961)年?月)
写真上 グラウンドでの集合写真
写真下 スタートダッシュの練習風景(スターターは大坪選手)
(第5弾を終えて)
  「箱根駅伝優勝」という果てしなく高い目標に向かって、遥かなる箱根路を目指していた時代の鉄紺OBたちの努力の積み重ねが、今の鉄紺東洋の「礎」になっているのは間違いありません。
  半世紀以上前のセピア色の笑顔は、決して色褪せることなく、今の選手たちの笑顔につながっています。

  これからも、貴重な写真とともに、セピア色に輝く鉄紺色のヒストリーを紐解いていきたいと思います。


 2013.8.17 管理人記
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