写真版・鉄紺ヒストリー |
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き せ き |
セピア色 |
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このコーナーは、箱根駅伝出場70回を超える東洋大学陸上競技部の歴史において、1933(昭和8)年の初出場から2009(平成21)年の初優勝までに幾多の鉄紺ランナーが箱根路に残した「輝跡(きせき)」を、セピア色の写真とともに振りかえります。 「鉄紺東洋」が常勝チームに進化しつつある今、これまでの歴史と伝統を、これからも紡いでいくために、伝え残していかなければならない「記憶」だと思います。 貴重な写真の数々は、当時のOBの皆さんから提供していただきました。 なお、当時のエピソードなどはあらためて聞き取り調査をして加筆したいと考えています。 |
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第3弾 1959(昭和34)年・第35回大会の写真版・鉄紺ヒストリー |
第3弾は、鉄紺東洋の箱根駅伝20回目の出場となった1959(昭和34)年・第35回大会を写真でふりかえる鉄紺ヒストリーです。 この大会の往路は、元日に降った雪がコースにも残る中でのスタートだったようです。 結果は中央大学が大会新記録で優勝し、6連覇をスタートさせた大会でした。 鉄紺東洋は、往路5位、復路8位と無難に襷をつなぎ、総合8位でシード権を確保しました。 この大会のメンバーでは、5区・宍戸選手、6区・奥沢選手、7区・吉田選手、8区・内山選手、10区・石井選手と学年は違いますが4年連続で箱根を走った選手が5人も含まれています。このうち、6区の奥沢選手は1964(昭和39)年の東京オリンピックの3000msc代表選手であり、5区の宍戸選手は1962(昭和37)年の別大マラソンの優勝ランナーです。 抜けている写真が多いですが、10人の鉄紺ランナーの「輝」跡は、しっかりと「歴史」にも「記憶」にも刻まれています。 |
【データメモ】 第35回箱根駅伝 ◎総合優勝 中央大学(12.01.23) ※8度目の総合優勝(6連覇の初年) ○総合2位 日本大学(12.03.45) ○総合3位 東京教育大学(12.14.40)※のちの筑波大学の母体 ○総合8位 東洋大学(12.30.21) ※往路5位(6.17.08)、復路8位(6.13.13) |
第1区 駒場道弘選手(1年) 区間10位(1.14.23) |
撮影場所不詳 |
第2区 新井勝夫選手(2年) 区間5位(1.10.03) |
撮影場所不詳 雪残る中、全身を使って応援する大嶋学長(当時) |
第3区 清水 亘選手(3年) 区間3位(1.09.59) |
NO PHOTO |
第4区 久松敏哉選手(2年) 区間8位(1.12.07) |
撮影場所不詳 |
第5区 宍戸英顕選手(1年) 区間5位(1.30.36) ※往路は5位で終了 |
久松選手から宍戸選手への襷リレー ※宍戸選手は卒業直前の1962(昭和37)年の第11回別大マラソンで優勝する |
前方に広がる箱根の山に挑む宍戸選手(左は区間賞の東教大・長田選手) ※宍戸選手は卒業直前の1962(昭和37)年の第11回別大マラソンで優勝する |
第6区 奥沢善二選手(3年) 区間11位(1.19.29) |
湯本駅付近 奥沢選手と伴走する中野コーチ(左) ※奥沢選手は卒業後、東京オリンピックに3000mSCの代表として出場(鉄紺初の五輪代表選手) |
第7区 吉田 博選手(3年) 区間5位(1.10.23) |
NO PHOTO |
第8区 内山末男選手(4年) 区間8位(1.15.29) |
NO PHOTO |
第9区 小池文司選手(3年) 区間4位(1.09.43) |
(写真上)力走する小池選手(撮影場所不詳) (写真中)先行する早大・鈴村選手を捉える (写真下)区間4位の激走で総合順位を6位に押し上げる |
第10区 石井 稔選手(2年) 区間10位(1.18.09) ※復路8位、総合8位でゴール |
NO PHOTO |
(第3弾を終えて) 第89回箱根駅伝では、史上初の往路5連覇、そして2度目の連覇はなりませんでした。 しかし、選手たちが学業と陸上競技を両立させ、今年も強豪校として立派に箱根路を駆けぬけたことは、東洋大学のOBの一人として、とても嬉しく、誇りに感じています。 「優勝」の二文字とは縁がなくとも、この時代のから脈々と受け継がれてきた鉄紺ランナーたちの「心意気」、「鉄紺の襷」に込める精神は、今の選手たちの走りの中にもしっかりと息づいています。 これからも、貴重な写真とともに、セピア色に輝く鉄紺色のヒストリーを紐解いていきたいと思います。 2013.1.20 管理人記 |
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