〜「素顔」の鉄紺ランナーたち〜
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2007年度のラストを飾るのは、中田選手同様最初で最後の箱根で心意気の走りを魅せた櫻井選手です。
Act.5 櫻井 豊 選手( 12位からシードへつないだ“陰の功労者”SAKURAI 登場!) |
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“フェイス”データ |
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名前 | 櫻井 豊(さくらい ゆたか) | ともに学び、競い合った仲間と卒業、そして“社会”へと |
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出身高校 | 山形県・東海大山形 | |
生年月日 | 1985(S60).6.1 | |
血液型/視力 | B型/右 1.5・左 1.2 | |
好きな言葉 (座右の銘) |
『過去を嘆くよりも未来を変えようとする今が大事だ』 (by豊) |
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好きな映画or 愛読書 |
「舞妓Haaaan!!!」 『ワンピース』 |
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好きな観光地(場所) | 山形県? | |
好きな色 | ゴールド・ピンク | |
好みの女性 のタイプ |
花のように笑う子 | |
尊敬する人 | 兄 | |
将来の夢 | 【良いことで】それなりに有名になる |
テーマ: 「 東洋大学の4年間 〜監督、すいませんでした〜 」 | |
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皆さんこんにちは。櫻井豊と申します。「鉄紺ぽーとれーと」ということで、大学生活を振り返ってみたいと思います。 1500mが得意だった私にとって、合宿のときには何度も何度も死ぬ思いをしながら、レースで20kmをまともに走れるようになるまで3年間かかり、1人で20kmを走れるようになるまで更に1年かかりました。川嶋監督をはじめスタッフ方には、見捨てず見守ってくださって本当に感謝しています。振り返ってみてもよく我慢してくださったなあとありがたく思っています。 最初で最後の1度きりの箱根駅伝でしたが、4年間、何度も何度も苦しんで悩んで、合宿では明日が見えないような日が何度もありましたが、箱根駅伝を走る日のために、思えばすべてが試練だったのだと思います。箱根駅伝を走ることができたことは、この先の未来も決して忘れることのない「宝物」になりました。 今私は、地元山形に帰り「上山市役所」に就職していますが、学生時代に学んだ我慢と継続と元気をこれからの社会人で活かしていきます。 後輩の皆さん、元気が大事です。元気に明るく全てに取り組んで下さい。ちゃんと卒業してね!そして、箱根駅伝は、順位にこだわらず伸び伸び走ってポテンシャルの高さを見せてください。結果は自ずとついてきます。 最後に、川嶋監督、佐藤コーチ、植村コーチ、なかなか立派な教え子ですいませんでした。人の3倍迷惑をかけましたが、3倍立派な人間になれるよう頑張って参りたいと思います。 P.S 読んでいただいている皆さん、上山市に住んでみませんか?物価はすごく安いですよ!!お待ちしております m(‐−)m
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