鉄紺ぽーとれーと 〜「素顔」の鉄紺ランナーたち〜

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  最初で最後の“箱根”で記憶に残る「中田ワールド」の走りを魅せた中田選手の登場です。

 Act.4 中田 貴勝 選手( “努力”と“心意気”の“男鹿男”NAKADA 登場!)
“フェイス”データ
名前 中田貴勝(なかだ たかまさ) 頑張れ中田!
“男鹿”で培った“心意気”が生んだ9区での「激走」
出身高校 静岡県・浜松日体
生年月日 1985(S60).11.15
血液型/視力 典型的なA型/右 1.5・左 1.0
好きな言葉
(座右の銘)
『やってみることは学ぶに勝る』
『どんなことでも一生懸命』
好きな映画or
愛読書
「幸せのちから」
イチローの本全般
好きな観光地(場所) 原宿、浜松、スタバ
好きな色 黒・白
好みの女性
のタイプ
どんなことでも一生懸命取り組む人、天然系
尊敬する人 イチロー
将来の夢 自分の設計した家を建てること
 テーマ: 「 4年間を振り返って 」
 
 
  初めに、『鉄紺ぽーとれーと』に取り上げていただき大変感謝申し上げます。せっかくの機会なのでいろいろ話せたらと思います。
  僕自身、東洋大学には陸上推薦で入ることができず、それでも川嶋監督のもとで陸上をしたい!箱根駅伝に出たい!と思い、指定校推薦で入学しました。正直、4年生の夏まではパッとしない選手だったと思います。練習はそこそこできているのに結果がついてこない、そんな感じでした。今年はやるぞと気合を入れて臨んだ4年目の夏合宿でも故障があり、結局1回しか参加できませんでした。いつもならそこで、気持ちが切れてしまいますが、両親から「箱根はいいから最後までしっかりやり通すように」と言われ、やるだけのことはやって悔いのない4年間にしよう!と思いました。その気持ちの切り替えが良かったのか、それからの試合は本当に思い通り。練習はきっちりやって、試合は遊び心をもって走る。そんな感じで、今までの「結果を出さなきゃ」とか「あいつに勝とう」といった気持ちは全くありませんでした。まさに箱根前は「中田ワールド」を創れていたんじゃないかなと思います。そして、最初で最後の箱根は思っていた通りの最高の舞台でした。
  陸上以外の大学生活4年間を振り返ってみると、単位を落としたのは1科目だけでした。試験日に寝過ごしてしまったので(笑)。宅建の資格も取りました!これには自分もやればできるんだなぁ〜と思いました。そんな4年間を言葉で表現すると『充実』だと思います。
  最後になりますが、川嶋監督をはじめ佐藤コーチ、植村コーチ、マネージャーのみなさん、東洋を応援してくれる方々、そして一緒に切磋琢磨した選手のみんな。お世話になった人達をあげればきりがないですが、僕は本当に出会いに恵まれていたと思います。これから僕は『セキスイハイム東海』という会社で働かせていただきます。営業という厳しい仕事ですが、ぜひこの経験を生かしていきたいと思っています。この文章を読んでくれているみなさん!住宅のことなら中田貴勝までよろしくお願いします(笑)!。どの大学よりも素晴らしい東洋大学を卒業できたことを誇りに思っています。


中田の心意気は後輩たちへと・・・
襷を受け取ったときの“充実”の笑顔、“心意気”の走りは、必ず来年の“箱根”に受け継がれる
(写真提供 スポーツ東洋)


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